しおぎのレポート

トレーナーシオギと黒リザードン「ジェット」の旅の記録

MOTHER3感想と考察


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MOTHER3のネタバレがあります。


マザー2をプレイして、マザー3もやってみたいなと思っていたところ、フォロワーさんがプレイしているのを見て感化され、自分もついにプレイすることを決めました。


エンディングを見終わり、長い小説を読了したような達成感と、物語が完結してしまった虚無感に包まれました。
物語の中でプレイヤーは複数のキャラを代わる代わる操作することになり、物語の読者としての視点でゲームに参加することになりますが、自分で操作するRPGだからこそ、小説や映画などよりもはるかに臨場感のある体験をすることができたと思います。
それから、なによりドットが洗練されていて、キャラクターはかわいくて、見惚れるほどアニメーションが滑らかで美しかったです。ライブシーンやキャラクターの心理描写はすばらしかった…。
プレイしてよかった。心に残る名作でした。

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以下すこし考察(個人的解釈)と思ったこと

○マザー3の物語には、あきらかに旧約聖書からインスパイアされていると思える部分がある。
リダから白い船の話を聞いたとき、ノアの方舟を連想した。
リュカとクラウス、兄弟の戦いはなんとなく、カインとアベルの話を思い浮かべる。
そしてカインとアベルの話からは、ポーキーと前作の主人公・ネスが連想される。
旧約聖書は人類最古の物語で、人類の根幹に関わるテーマが内包されている。
マザー3も、人類に対する問いのような、大きなテーマが背景にあるように感じられた。


物語の序盤、タツマイリ村には金銭の概念すらなく、人々は静かに幸せに暮らしていたが、
そこにポーキーはヨクバを利用し、金銭や幸せの箱を持ち込み、逆らう人には雷を落とし、無理やり作り物の幸せを人々に錯覚させた。
人が金や幸せの価値観に追われて生きる姿は、それが当たり前になっている我々が生きる現代社会に重なる気がする。

これは、便利な機械とお金に支配された現代社会に対する風刺的な意味があるのかもしれない。

 


○ポーキーについて。ポーキーは、嫉妬や幼稚な欲望など、人間の醜い部分が溢れている。ある意味、純粋な子どもである。
旧約聖書カインとアベルの話は、嫉妬による殺人の物語だが、マザー2でのポーキーの行動原理もまた、嫉妬によってもたらされる攻撃と破壊欲求だった。
やがてポーキーは時空間の移動や不死という人類を超越した力を身につけ、さらに、軍隊を率いて封印されたドラゴンの絶対的な力を手に入れて全てを思い通りにしようとした。
しかし、大きな力を手に入れるほど彼は目を覆いたくなるほど哀れな姿になっていった。
リュカという反対者(邪魔者)が現れ、ポーキーは傷つけられるのを避けるために、絶対安全なカプセルに引きこもった。

結果、絶対安全カプセルは、カプセルの外も安全になるということで、彼は外界から孤立し、永遠に一人ぼっちの存在になってしまった。
エンディングでは、まだその自分の運命に気づいていない様子だったが、それもまた哀れであるように思えた。

いや、心の奥底ではわかっていたのかもしれない。わかっていながら、自らの惨めさを認めたくなかったからこそ、大きな力を手に入れて世界を無にしようとしたり、身の回りを大きな建物や多くの遊具で固め、虚勢を張っていたのかもしれない。

ポーキーはマザー2のマジカントで「ネスお前はいいよな…。」と語る。ネスの冒険をうらやましく思い憧れていたのだ。
ポーキーが作った街にはネスの冒険映画が流れ、冒険の思い出が飾られている。
ネスのように冒険したかった、ネスと友達になりたかった。しかしそれは決して叶わないことだった。
その憧れと嫉妬がやり場のない大きな感情となり、他人の幸せを奪う破壊欲求になったのだろう。

嫉妬に狂い、劣等感を味わい、自暴自棄になった彼の悲惨な末路には、なにか教訓的なメッセージが込められているように思えた。